フェラーリの歴史を紐解いてみる

フェラーリはアルファロメオのレースドライバーだった「エンツォ・フェラーリ」が1929年にレース仲間とともに創設した「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」が前身となっています。

第二次世界大戦が終了するとエンツォ・フェラーリは自社の自動車工場を現在も本社を置くマラネッロに設立し、エンジンの設計を行うなどレーシングカーの開発をスタートさせました。

1947年にフェラーリとして初めて生産された「125S」を初めとして、この頃に生産したクルマは全てレース用のレーシングカーで、市販向けにはレーシングカーをデチューンしてロードカーに仕立てた旧モデルを貴族や富豪に販売していただけでした。

フェラーリ市販モデルを投入

その後、フェラーリはレーシングカーをベースとしていない市販車の製造を開始し、当初は完成度も低くオーナーからの不評も多かったですが品質の向上や機能性を高めて行き、非常に高価ながらも順調に販売台数も伸ばしていきました。

当時は車を所有することがステータスだった時代に「レースシーンでの圧倒的な強さ」や「非常に高価な車両価格」によって、フェラーリは「美しいデザインを纏った高性能市販車」として上流階級の人間や著名人が愛用し、フェラーリに乗っている姿がニュース映画や雑誌の紙面を飾るなどしてブランドイメージを向上させていったのです。

しかし、エンツォによるモータースポーツへの過剰な投資や社内紛争によって経営状態が大きく悪化したフェラーリは、イタリア最大の自動車メーカーであるフィアットと提携を開始し1969年にはフィアットグループの傘下に入ることで経営の安定化を図ったのです。

経営の安定化へ

フェラーリの歴史が感じられる車

こうしてフィアットの意向を受けるようになったフェラーリの市販車部門は、これまでのV型12気筒エンジン以外にもV型8気筒エンジンを搭載した廉価モデルを登場させ、現在もフェラーリの収益を支えるモデルへと続く系譜へと発展を遂げました。

1988年には創業者のエンツォが亡くなったことで、フェラーリの将来が不安視されましたが、フィアットはエンツォの元でスクーデリア・フェラーリのマネージャーとして辣腕を振っていたルカ・ディ・モンテゼーモロを社長に据えて、市販車部門の更なる改革を推し進めたのです。

これまでのフェラーリが拒んでいたパワステやフルオートエアコンの導入や、手荷物スペースの拡充といった快適性の向上と共に、車全体としての品質を向上させることで新たなオーナー層を拡大して業績を向上させ現在に至っています。

参考URL:歴代フェラーリF1マシン振り返り!これを読めば進化がわかる。ロッソと跳ね馬は勝利のシンボルなのだ!